上級国民が医療崩壊を引き起こす
石原伸晃がコロナ陽性となり、即座に入院した。
これを見て多くの日本国民が気づいたはずだ。
人間の命は平等だとしても
この国では平等に扱われないのだ、と。
そのとおり。
日本は民主主義国家の皮をかぶった身分制社会なのである。
そもそも有史以来、天皇家という事実上の「国王」一族をずっと戴き続けているという時点で、この国が身分制社会なのは火を見るより明らかだ。
この国は天皇という国王一族を頂点とし、世襲政治家という貴族階級が国政を牛耳っている厳然とした身分制社会である。
戦後民主主義という外皮は、その「身分制社会という実態」をうまく覆い隠すためのカモフラージュ装置である。
これによって国民は、身分制社会の中に生きているにもかかわらず、それに気づかず暮らし続けることができた。
身分制社会という実態を国民から隠すことで、国民からの批判を受けずにぬくぬく肥え太ってきたのが自民党である。
石原伸晃が即時入院できたと聞いて、「病床に余裕が無いんじゃなかったの?」と思った人は多いだろう。
そのとおり。病床に余裕はない。
しかし、それは下級国民(=一般国民)の病床の話である。
上級国民の病床(その数は国民には知らされていない)にはまだまだ余裕があるらしい。
だから石原が即座に入院できたのである。
日本はこの1年間ろくに病床を増やしてこなかったと言われている。
しかし、本当にそうだろうか?
増えなかったのは下級国民の病床だけではないか?
上級国民の病床は増やされていたのではないか?
上級国民の病床を増やすために下級国民の病床を増やす余裕がなかっただけではないか?
いや、そもそも下級国民の病床が少ないのは、全体の病床から上級国民分が引かれているからである。
いつでも上級国民が即座に入院できるように、下級国民の病床が「わざと」減らされているのである。
だから下級国民の病床が満員で順番待ちになっていたとしても、上級国民の病床は現在ガラガラであろう。
上級国民の病床を下級国民用に開放すればもっと多くの命が救われるとしても、上級国民は絶対にそれを許さないであろう。
コロナがいくら蔓延しようとも、上級国民はすぐにPCR検査を受けられるし、すぐに入院できる。
下級国民がなかなかPCR検査を受けられないのも、なかなか入院できないのも、上級国民がいつでも利用できるように、下級国民分が制限されているためである。
「医療が逼迫して医療崩壊が起こる。国民は自粛を」と言われているが、医療崩壊を引き起こしているのは上級国民である。
上級国民用の医療は絶対に崩壊しない。
下級国民用の医療リソースを取り上げてでも上級用にまわすからである。
だから上級国民は本気でコロナ蔓延を防ごうなんて考えていない。
むしろコロナという「有事」は上級国民にとってチャンスである。
政府の権限を強くし、国民に対する規制を強めるまたとないチャンスである。
コロナ禍が収まったころには、上級国民の上級国民による上級国民のための政治体制が完成しているかもしれない。
だから私は、コロナ対策に名を借りた規制強化に反対している。
「超過死亡はマイナス」?本当に?
2020年の日本の超過死亡はマイナスだから、日本のコロナ対策はうまくいってるのだとネトウヨどもが騒がしい。
しかし、私はそれを疑っている。
本当に超過死亡が減ってるのか?
芸能人や著名人の訃報は普段より多かった印象があるのに?
本当にその統計は正しいのか?
今の政府は統計のような重要情報ですら平気で改竄する。
超過死亡は減っているという印象を国民に植え付けた後で、こっそり数値を訂正するくらいのことはやりかねない。
もしかしたら数値の訂正すらせずに、統計数値を偽り続けることすらするかもしれない。
それくらい私は今の日本政府を信用していない。
統計・データは人間が作るものだ。
特に政治権力を握った者たちが作らせるものだ。
政治権力を握った者たちは自分に都合の悪い数字を公表したがらない。
ならば隠蔽・改竄を働いてもおかしくはない。
日本政府の出す情報より、外国政府が出している日本に対する予測の方が正しいかもしれない。
この国の指導者たちはそのレベルまで信用を失墜させている。
日本人はコロナ以上にそれに乗じて自由が制限されることを恐れるべき
最初にことわっておくが、「コロナはただの風邪だから恐れる必要はない!」などとネトウヨのようなことを言いたいわけではない。
そうではなくて、コロナだけが恐れるべき相手ではないし、その恐怖感を権力者に利用されるなと言いたいだけである。
権力者は基本的に国民の権利を制限したいと考えるものである。
国民が盲目的に従ってくれることが権力者の理想であり、できることならそういう体制を作りたいと考えるのが自然である。
そんな権力者にとっては、今回のコロナ騒動はチャンスである。
コロナ対策と銘打って国民に対しての規制を強化し、政府の権限を強くできる絶好の機会である。
普段から「国民主権をなくしたい」と主張してきた自民党がこの機会を逃すはずはない。
コロナ対策の名のもとに国民の自由を制限してくることは容易に想像できる。
コロナはワクチンができたり、国民に免疫ができればいずれ収束していくが、国民の権利を制限するシステムは一旦出来上がったらその後も続くだろう。
コロナは一時的。されど権利制限は永久的。
だからこそ私は、コロナ対策を理由にした権利制限を是とする風潮には異議を唱えたい。
ウイグルやチベットの人権問題をとやかく言うネトウヨほどアイヌや沖縄の人権を無視する
2008年の北京オリンピックあたりからネトウヨや保守系の連中が、中国を叩くためにウイグル問題やチベット問題を取り上げるようになった。
以前からその問題を知っていた私としては「何を今さら」としか思わなかった。
チベットやウイグルに対する人権抑圧は最近始まったものではなく、すでに何十年もの歴史がある。
今、それを批判する人々は何故かつては何も言ってなかったのか?
それは中国を叩きたいがためにウイグル・チベット問題を持ち出しているだけで、中国の少数民族の人権について本気で考えているわけではないからだ。
アメリカは中国の人権問題をとやかく言う前に自国の黒人問題を何とかすべきだし、日本だって沖縄の基地反対運動やアイヌ文化を抑圧し続けてきた問題を何とかすべきである。
チベットやウイグルのことを言いたがるネトウヨに限って、日本が沖縄やアイヌに対しておこなってきた人権抑圧・文化抹殺を黙殺したがる。
チベットやウイグルではいまだにチベット語やウイグル語を話せる人々がたくさん残っているが、今の北海道にアイヌ語を話せる人々がどれだけ残っているのか?
ほぼゼロであろう。
それはつまり、中国よりも日本の方が少数民族の文化を激しく抹殺した動かぬ証拠ではないか?
他国の人権問題を外交カードに使うような輩は例外なくゲスである。
他国を批判するより先に自国の人権問題を何とかしろ。
自国の人権問題を放置し続けるアメリカも日本も、例外なく衰退するだろう。
49歳の受験生について思う事
大学入学共通テストで、49歳の受験生が「鼻出しマスク」をしていたことで不正行為とみなされ、その後逮捕されたというニュースが出ていた。
その人が何者で、何を考えてそのようなことをしたのかはわからない。
マスコミの報道がどれくらい信頼できるかもわからないので積極的に調べる気も無い。
しかし、このニュースがこれだけ大きく報道された理由は「49歳の受験生」という存在が物珍しく、ニュース視聴者・読者の好奇心をくすぐるからなのだろう。
私は自分の今の仕事がひと段落したらまた大学に通ってみてもいいと考えていただが、このニュースを聞いて日本の大学に行く気が失せてしまった。
大学は本来何歳になっても入れるはずのものだ。
18歳で入学し、22歳で卒業するのは、日本でそうする人が多いというだけのものであり、そうでなければいけないものではない。
しかし、日本社会では49歳で大学に入りなおそうとすることは異様なことであり、人々の好奇の目にさらされてしまうものらしい。
すでに20代を過ぎ去った私としては、たかが大学にまた通うためだけにそんな好奇の目にさらされたいとは思わない。
行くなら海外の大学に行こうと思う。
日本が衰退した原因を書いておく
日本で生活していると、日本が衰退した原因がよく見えてくる。
日本が衰退した原因について、今思いつくものをいくつか書いてみよう。
(1)合理的根拠のない慣行や伝統などを維持するためにエネルギーを使い過ぎている
日本社会は理不尽で不合理な慣行の塊だ。
「常識」という名の謎の慣習が墨守され、それを維持するために膨大なエネルギーを投入している。
そのような合理的根拠のない伝統の最たるものが「天皇制」だと思うが、かつて日本はそれを守るために数百万の国民を死においやった。
人間の命よりも合理的根拠のない慣行や伝統を維持することの方が日本人にとっては大事なのだ。
世界中から見れば日本は理不尽な慣習を維持するために国民に理不尽な犠牲を強い続ける未開部族のように見えるだろう。
(2)「協調性」とか「空気を読む」ことが重視され、現状を打破するような新しい考えを潰す風潮
日本社会で最も重視される能力は上の人に逆らわず、周囲に溶け込んで生きていく処世術だ。
空気を読まずに日本社会の現状を変革していくような考え方を持つ人間は「協調性が無い」だの「KY」などと呼ばれ、社会から排除される。
こうして(1)のように理不尽な慣行や伝統は何ら批判されることなく生き残る。
(3)明らかに問題が起こっているにもかかわらず現在のやり方をいつまで経っても改めずに突き進む姿勢
現在のコロナ対策などが典型的だが、明らかに現在の手法ではうまくいっていないのに、それを認めず、現状を変えないまま放置している。
「PCR検査をしなければ市中感染が広がって大変なことになる」と1年くらいずっと言われ続けているのにいまだにPCR検査を十分におこなえる態勢を整えていない。
コロナ対策は氷山の一角である。日本社会でこれと同じことはいくらでもある。
(4)他国を馬鹿にしたり、過去の栄光にすがることで現在の日本の問題点から目を背ける現実逃避的態度
東日本大震災以降、明らかに中国・韓国を馬鹿にし、「日本すごい」を強調する言説が増えた。
これはかつてはネットの中だけで起こっていたことだが、震災以後はテレビや雑誌・書籍などでもそういう風潮が強まっている。
書店に行けば、ネトウヨ的書籍を見かけることが増えた。
しかし、中国や韓国をいくら馬鹿にしたところで現在の日本の問題点が消えてなくなるわけではない。
むしろ現在の自分たちの問題が見えなくなり、改善の道が遠ざかるだけである。
このような風潮がやまない間は、日本が再び浮上していくことはないだろう。
ここで挙げた(1)~(4)の現象は最近になって突然生まれたものではなく、昔からずっとあったものである。
しかし、かつての日本、少なくとも2000年代まではこれらの問題を批判し、正していこうとする姿勢があった。
日本社会の理不尽な慣習や伝統に対する批判は今よりしやすかったし(今のように「日本から出ていけ」なんて言われなかった)、日本の物よりも外国の物の方が良ければそれをどんどん取り込もうとする動きはあったし、近隣諸国を馬鹿にする言説は公式的にはやりづらかった(ネトウヨ的な言説が今ほど一般化していなかった)。
(1)~(4)の風潮は2000年代を過ぎて日本の衰退、中国・韓国の発展が明確になってから強まった。
つまり、日本は衰退したから、(1)~(4)の風潮が強まり、それによってさらに衰退するという「衰退の悪循環」に入ってしまったのである。
では、衰退を止めるにはどうすればいいのか?
それは上記(1)~(4)の風潮を改め、日本の衰退を謙虚に認め、問題点を一つずつ改めていくことである。
とはいえ、筆者は今の日本社会にそれができるとは思っていない。
日本は今後も(1)~(4)の風潮をさらに強めて没落していくだろう。
だからこそ、「日本は沈んでも、自分は沈まない」という強い意志を持つことがこれからの日本人には必須になるだろう。
東京のコロナ死者数、隠蔽してませんか?
ついに日本のコロナ死者数が5000人を突破した。
1週間前くらいから「5000人突破は23日の土曜日あたりだな」と予想していたのだが、案の定その通りになった。
この様子だと6000人突破は2月4日あたりだろう。
(ただし、増え方のスピードが今後どうなるかは予測できないが)
日本のコロナ死者数(公式発表)は、中国のコロナ死者数(公式発表)より多くなった。
ネトウヨどもは中国の発表なんか嘘っぱちだと息巻くが、日本の発表だって本当に正しいかどうかは疑問である。
特に東京の死者数が怪しい。
これまで見てきたところ、コロナの死亡率は大体1.4~1.6%くらいが普通である。
もちろん数が少ない場合はこのとおりにならないことも多いが、普通は数が増えれば増えるほど標準的な数字に近づいていくはずである。
しかし、東京の死者数は不思議なことに感染者数・死者数が増えるにしたがって死亡率が低下し続けている。
大阪の死亡率が2.0%なのに対し、東京の死亡率が0.8%である。
同じ国の中でこれほどの差が出るのは異常である。
そのおかげで感染者数が東京の半分以下の大阪の死亡者数が、東京より多くなるという異常事態が起こっている。
大阪と東京の衛生状態や医療水準がそこまで違うはずはない。
大阪は感染者数を、東京は死亡者数を隠蔽していないか?
東京の死亡率が低すぎておかしい。
日本全体の死亡率が1.4%なのに対して、東京の死亡率が0.8%なのはおかしい。
例えば、東京都の隣の神奈川県の死亡率は1.1%、埼玉県は1.3%、千葉県は1.0%、山梨県は1.4%。
東京都だけ何故か周辺の都道府県の中で最も死亡率が低い。
何故だろう。
東京オリンピックのために都合の悪い数字を隠してませんか?