衰退日記 ~衰退する日本を生き抜け~

日本の衰退の原因と対処法を考えるブログです。ネトウヨは閲覧禁止。

普通の日本人が極端な日本をつくる

日本人の多くは自分の中に行動の指針を持たない。

日本人の行動原理の最大の指針は「みんなに合わせる」である。

 

「みんながやっているから」自分も同じことをする。

「みんながやっていないから」自分も他人と違うことはしない。

 

日本人の大多数の行動原理はこんなものである。

大抵の日本人は周囲に合わせて動くから、日本人は集団の枠をはみ出さない普通の人ばかりである。

そんな普通の人ばかりで構成される日本社会が、外から見ると何故かものすごく極端に見えることがある。

 

例えば、太平洋戦争の頃の日本。

「ほしがりません勝つまでは」「鬼畜米英」「天皇陛下万歳」などの標語を掲げて竹槍でB29と戦おうとしていた日本の姿は極めて異常であり、極端だった。

今でも異常なほどの社畜大国、ブラック大国であり、萌えとAVが世界中で有名な日本。

日本の極端さは必ずしも過去だけの話ではない。

 

何故普通の人だらけの日本が極端な国になるのか?

それは国民が普通の人だらけだからである。

日本人の多くが普通なのは、みんなと同じように振舞い、みんなと違うことをしないからである。

例えば、日本社会で「ぜいたくは敵だ!」という考えが主流になれば、日本人の大半がみんなと同じようにしなければという本能に従って、「ぜいたくは敵だ!」と叫び始めるだろう。

「いや、ぜいたくをしてもいいじゃないか」という意見は出てこないか、出てきたとしても一部の少数意見に過ぎず、大多数の日本人の「ぜいたくは敵だ」の声にかき消されてしまうだろう。

日本社会は、みんなと同じことをするのが正しいと信じている人々で成り立っているため、社会の主流の動きに対してアクセルを踏むばかりで、ブレーキ役が存在しないのである。

 

戦時中に戦争反対を唱えていた人間は、戦争に反対したから迫害されたのではない。

「戦争をしよう」という時代の空気を読まなかったから迫害されたのである。

 

日本社会にはアクセルはたくさん存在するが、ブレーキは存在しないのである。

私たちはそういう極端な社会に暮らしているという事を自覚すべきである。